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 お盆の最後の行事に地蔵盆(じぞうぼん)があります。旧暦では7月24日に行われていました。鞆の安国寺釈迦堂(しゃかどう)の前に、石造の地蔵菩薩を祀った地蔵堂があります。ここでも毎年、子どもたちの健やかな成長を願って行事が行われています。

 この地蔵さんには、石の仏像に刻まれた年号としては県内で最も古い、元徳2年の刻銘があります。今から675年前には地蔵信仰が鞆でも盛んだったようです。この地蔵さんは国の重要美術品に指定されており、鎌倉時代の風格を備えた立派なものです。

 悪霊が地域に入るのを塞ぐための塞の神(さいのかみ 道祖神)と地蔵信仰が結びついて、地域の入口の屋外に地蔵さんを建てるようになりました。だから地蔵さんは石に刻まれるのが一般的です。
ところが仏像を作る仏師(ぶっし)は木に彫刻するのを原則としていて、石の地蔵さんを本格的な仏師が刻むことはありませんでした。
石の地蔵さんを作るのは石工(いしく)の仕事でした。石工は石垣を築いたり、燈籠(とうろう)や墓碑、それ

 狛犬(こまいぬ)など、定型化されたものを作る職人です。木彫では気品のある美しい地蔵尊像(例、快慶作)があっても、石造ではそれほどの地蔵さんにお目にかかれないのは、そうした日本独特の区分によるものなのです。
ところが鞆には木彫と見まがうほどの気品にあふれた、美しい石の地蔵さんがあります。鞆の山すそに一列に並ぶ寺筋の南端近くに阿弥陀寺があります。その境内の地蔵石仏がそれです。完全な丸彫(まるぼり)で中国風な衣を着け、細部まで木彫の地蔵尊像と全く遜色のない地蔵さんなのです。

 端整で精神性のこもったその尊像は拝する者の心をも清めてくれるようです。岡山大学名誉教授(仏教美術)の斉藤孝先生は「日本の地蔵石仏の中でも稀にみる程の芸術的完成度の高い地蔵石仏と評したい。」と惚れ込んでおられます。

 この地蔵さんは江戸時代の延宝3年(1675)に作られたこと、作者が肥前(佐賀県)小城郡の富永仁右衛門であることが、尊像を乗せている六角の塔身に刻銘されています。

 昨年、肥前石工の故郷、佐賀県小城市牛津町へ調査に行き、教育委員会の大橋先生にご指導いただきました。中国大陸に影響を受けた石工集団が、16世紀末から江戸中期にかけて活発に仕事をし、佐賀、長崎、熊本の各県に大変優れた作品を多く残していました。 しかし、遠く鞆まで出向した石工がいたとはと驚いておられました。

 地元で作成された肥前石工のリストを見せてもらって気がついたのですが、石工の棟梁と思われる者は、武士しか許されなかった名字(富永、平川といった姓)を名乗っているのです。他の藩に容易に出向して仕事ができる特権を持っていたので、職人でありながら姓を許されたのだそうです。いわば外貨獲得のための出稼ぎ技能者だったわけです。

 阿弥陀寺の地蔵さんの石材は光沢のある黒っぽい石で、瀬戸内の花崗岩ではなく、佐賀地方の安山岩でもないので、中国大陸からの輸入品の可能性が考えられます。そのような石材を使用したり、佐賀から名工を呼び寄せたりできたのは、鞆の商人の強大な経済力によるものです。鞆の港の繁栄ぶりは現在からは想像もつかないものだったようです。

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