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 鞆の町と仙酔島との間に弁天島が浮かんでいます。緑青の屋根に朱塗りの祠堂が海の風景のアクセントです。低く這うような松が、断崖ばかりの小さな島を飾っています。白いカモメが瑠璃色の海面をかすめて飛び交います。誰もがしばし心を奪われる風景です。
この島に祀られている弁財天(べんざいてん)とは七福神の中の琵琶を抱えている美しい女神、弁天さんのことです。ところが、元々はサラスヴァティーというインドの河の女神なのです。
 古い彫刻や絵画には、顔が三つ、腕が六本で武器を持って恐ろしい形相をした姿で表されます。弁天島の対岸に位置する円福寺にもそのような尊像があります。
河の女神は水を支配する神ですから、必ず水辺にまつられています。鎌倉の江ノ島や琵琶湖の竹生島は有名です。弁財天が日本古来の神と習合したのが市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、即ち宮島の厳島神社の祭神です。
厳島神社が海中に建てられていたり、弁天さんの持ち物の琵琶を模した杓子(しゃくし)を土産にする理由はこれなのです。
 弁天島の祠堂の創建はいつの頃か不明です。しかし、祠堂の5メートルほど北側に十一重の石塔(現在は九重)があります。この軸部に「文永八年」(1271年、鎌倉中期)と年号が刻んであります。

その頃、既に鞆の浦は多くの船が立ち寄る、瀬戸内きっての要港でした。水の女神、弁財天は海上安全を願う多くの海の人々の信仰を集めたことでしょう。この年号は県内在銘の石塔中最古のもので、県の重要文化財に指定されています。
この石塔には次のような物語が伝わっています。昔、近江の正道という武士が、厳島神社参詣の途中、鞆に立ち寄り、弁天島の近くで誤って家宝の太刀を海中に取り落としてしまった。引き上げてくれた者には銭百貫を与えるからと依頼するが、誰も進み出るものはいない。
土地のものは皆、このあたりはフカがひそんでいると知っているからだ。正道は浦人を頼りがいがないとののしった。1人の若者が郷土の恥は命で償うほかはない、自分には身寄りもいないからと、太刀を取ってくることを申し出た。
そして海底から太刀を拾い上げることに成功したが、同時にフカに足を食いちぎられてしまっていた。悔やんだ正道は賞金の百貫をもって十一重の石塔を建てて、ねんごろに弔った
今から410年前、この物語を聞いてたいそう感激をした中国人(当時は明)がいました。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)の講和折衝に来日していた沈惟敬(ちんいけい)将軍です。
将軍はその感激の詩文を大きな石碑にして、石塔の10メートルほど北側に建てました。この伝説と将軍の話は360年前に鞆奉行、荻野重富が『鞆記』に書き残しています。石碑は現存していますが、長年の風化で残念ながら一文字も判読できません。
 昔から旧暦4月14日には、海上安全と招福を祈願して弁天祭りが行われてきました。今では毎年5月の最後の土曜日の夜、華麗な海上花火大会が催されています。
昭和20年代には数人のフカの犠牲者がでましたが、なぜか若い女性が多かったように記憶しています。その後は防護網によって安全に海水浴が楽しまれていますが、弁天島のかたわらの海底深く、今でもフカがひそんでいる筈です。

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